理想と現実、そして思い込み

やっとパソコンが直ったので、真っ先に大好きなバンドのあるメンバーのHPへ。
そこでまたしても涙。
どうしてこの人はいつもいつも悩んでるんだろう?


そもそもの始まりは、先週のライブ。
ツアーの最終日で、しかもスタンディングライブだったこともあって、
その日は、始まると同時に人が前に詰め掛けて、バッタバッタと人が気を失っていて。
メンバーも気を使いつつ、ファンの人も助け合いつつ、
無事、2時間半のライブが終了。
いつもはやらないアンコールもしてくれて、私は大満足で帰路に着いたのでした。
ちなみに、私は押されるのが嫌だったので、真ん中の辺りにいましたが。


で、昨日、メンバーの日記を見たら
「自分はとても満足して、楽しんでライブを終えたのに、掲示板では誹謗中傷ばかり。
自分がいることがそもそもいけないんじゃないか」って。
「え〜っ、何でそうなっちゃうんだろう?」って気になって、
HP内のBBSへ。
そこには、その日記を読んだファンから励ましの書き込みがあふれてて、
そこで事の一部始終を知った訳です。


誹謗中傷の内容は、大きく分けてどうも2つあるらしい。
1つ目は、人が倒れるようなライブはするな。
2つ目は、いつもはしないアンコールはしなくていい。
で、これに関して、私なりの意見を今日は書きたいと思います。


私もそうなんだけど、大好きな人、理想の人には、自分なりのその人像を持ってしまいがちなんじゃないかって。
分かりやすく言うと、「この人はきっとこうに違いない」「こうしてくれるに違いない」っていう思い込み。
それはあくまで自分が作った像であって、ホントのその人ではないはずなんだけど。
昔の私もその傾向が強くて、すごく仲のいい友達と意見が食い違うと「あ〜、なんか裏切られた気分」ってなってたなぁ。
それを何度も繰り返しているうちに、
「価値観は人それぞれなんだから、過剰に信じたり、思い込みしちゃいけない」って思ったのです。
もちろん、信じない、っていうのは、“警戒する”でも“友達をやめる”でもなくて、
“思い込みを押し付けない”と言う意味で。
オーラの泉』で美輪明宏も「人は腹6分で付き合うべき」って言ってたし。


私が好きなその人は、色々意見を発信する人で、毎回その発言に賛否両論あるんだけど、
それだけに、ファンは“理想のバンドマン”像を彼に対して持っているんだと思うのよね。
「アンコールはしない」っていうのも、そのバンドのポリシーで、
もともとはファン独自の意見じゃなくて、バンドのその言葉に影響を受けて、
「アンコールなんていらないよ」って思ってたわけでしょ?
それを、今回、熱いアンコールに応えて演奏したら
「そんなのおかしい」とか「やる必要はあったのか」って。
ファンからあんなに声援を送られたら、サービスしようって言うのが本心なんじゃないのかなぁ?
ライブがちょっと危なかったのも、「みんな盛り上がってたね」でいいじゃん。
私はあの場にいて、ファンが助け合ってる姿を見て少なからず嬉しくなったんだけどな。


長くなってしまったけど、結論としては、
意見が違うのは当たり前なんだから、わざわざ匿名性が高いところで批判しなくても、ってこと。
嫌なら、信じられないなら、何も言わずに去っていけばいいし、
色々意見は違ってもやっぱり好きなら「これからも付いて行く♪」でいいし。
これは友達付き合いにおいても言えると思うんだけど。
最近の中高生は、喧嘩した友達のメアドや電話番号をネット上に載せちゃったりして、
退学や停学騒ぎになってるとか。
いいじゃん、意見が合わないから仲良くするのやめる、で。


十人十色、千差万別。
批判するだけじゃなくて、認め合う生き方のほうが、人生楽しいんじゃないの?